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zoom RSS 写真家ふたり

<<   作成日時 : 2014/06/25 15:07   >>

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かつてよく通った、写真集ばかりを扱う洋書屋で
その日たまたま、WEEGEEという写真家に、目が釘付けになった。

立ち読みをしていたら、女性店主が声をかけてきて
その写真家が
自分の車に警察無線と暗室を備えていて
誰よりも早く事件現場に辿りつき、報道写真を超える作品を残したのだ
というようなことを、教えてくれた。

買って帰って、家でじっくり眺めてみても
血なまぐさい写真だと思った。
けれど、写真集には、
M・モンローやL・アームストロングのおちゃめな瞬間も切り取ってあって
ハーレムの貧しさとか、富裕層のド派手な瞬間も
そこに同居していた。

キャパや、ユージン・スミスが写真をもって教えてくれた
戦争の悲惨さや、人間の残酷さ
ブレッソンやマイダンスの、圧倒的美しさ
それらとは、全く違う写真であるような
見返すたびに、なんとなく
ただ、なんとなく、不思議な気持ちになる。

芸術なのか、報道なのか
なんだかよくわからないけれど
「写真」がすきだなと思う。美術作品としても、すきだなと思っている。


前評判がとにかくすごくて、気にはなっていたけれど
それを芸術美術には、くくれないだろうとたかをくくっていた
素人写真家の、作品展を観に行った。

IZU PHOTO MUSEUMの
『増山たづ子 すべて写真になる日まで』

衝撃だった。あの日のWEEGEE以来の衝撃だった。

生まれ育った村が、ダム建設によって水没することになり
記憶を記録に残すため、村のすみずみまで写真に撮り
廃村後も撮影を続け、亡くなるまで28年間の10万カット
その中の、きっとほんの一部なのだろう作品が展示されてあった。

アルバム600冊も展示室に並べられ
その数の多さにも唖然としたけれど
その一冊一冊に、けして達筆とはいえない彼女の手書きで
いつどこで撮った写真かが記録されていて
その文字の小ささにも、目が回った。

かつての日本の、豊かな里山風景
そこに暮らす、つつましい村民一人ひとりの生活
たくさんの子どもがいて、たくさんの高齢者もいて
「なつかしい」とか「あたたかい」とか「やさしい」とか
そんなもので、展示室がむせ返っていた。

この景色は、もう、どこにも存在しないし、本人もいない
その現実がまずありきだからなのか
鼻水をすする音がきこえたり、涙を拭う観覧者もいた。

私は
私は、ただ、「フクシマ」が、拭えなかった。


増山さんは『ピッカリコニカ』という名前のカメラを愛用していた。
ピッカリコニカ片手の増山さん、それだけで、ほほえましくてかわいらしい。
花や木や、人間や建物や
撮るひとがこうだと、こうもいい感じの写真になるんだね。
そんな写真展だった。


WEEGEEは
これだけの血が流れて人は死ぬんだ。
寒い日に、貧しい人はこうして縮んで寝るんだ。
そういったことを、私に突きつけた。
増山さんは
村がなくなるということは
こういうものを永遠に失うことなんだ。
それらを、私にきっちり見せつけた。

写真は、手を加えると美術になる。
なんの加工もされない写真は、過去の現実で
教科書よりも正しい、美しすぎる史料、でもある気がする。
写真から学ぶことの大切さとか
ココロ揺さぶられる感情の起伏とか
そういうことをひっくるめて、写真がすきなんだな
と、あらためて思う。


ところで
いつも、亡くなっている方に対しては‘敬称略’を貫いてきたけれど
増山さんは、‘さん’が、どうしてもついちゃうんですよねぇ。

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