|
数千の、あるいは数万の陶器に埋もれていても 確固たる存在感で 小宇宙のようなオーラを纏い 見る者を惹きつけてしまう陶器。 畳の部屋で寝そべって 障子ごしに入る、時間の経過とともに変化する日の光に照らされる姿を 朝から晩まで眺めていられる陶器。 人間国宝とされる人は、そういう作品を造る人、ということなんだろうか。 茨城県陶芸美術館で荒川豊蔵の展覧会を観た直後から ここ数日、そんなことをぼんやり考えている。 美術館をはしごしてしていたので、さらっと流すつもりが イヤイヤなんだい、勘弁してくれよ。というぐらい見入ってしまった。 最後にはげんなりするぐらい疲れてしまっていた。 そして、人間国宝の作品というのは・・・という 空しくなるような自問自答のドツボにはまった。 益子も笠間も陶器市のさなかであることが さらに拍車をかけていたのかもしれない。 自問自答の最中にはっきりと思ったことは 大枚をはたいて入るような和食のお店などで 玄関に飾ってあるツボが貧相だと、即刻帰りたくなるし つまらない器で料理を出されたりすると テーブルをひっくり返してやりたくもなるし 然るべきところに然るべき器を使って欲しいし、見てみたい。 ‘和’を売るトコロでは それ相当の文化の継承をして欲しい。 じゃないと、お財布の福沢諭吉さんと上手にさよならできないのよ。 と、いうこと。 動植物を人の試行錯誤でおいしくいただくとしたら 土と火を探求した人の試行錯誤でうまれた器でいただきたい。 そうして「自然の恵み」を意識することが 人間としてとても重要なことだというようなことを、茶道を通じて教えてもらった。 普段の生活で、そう意識することは困難に等しい。 けれど、楽しみようはいくらでもある気がする。 やっぱり陶器はこの上なく楽しい。 料理の腕前をさらりとカバーするチカラを持ち 雑草を生け花に変えるチカラもあり なんだか潤ってる我が家。という錯覚まで引きおこす。 陶器市などで、ちょこまかちょこまか買い集めた器たちは “気に入ってる度”が高ければ高いほど なぜか割れてしまうという不運なジンクスを抱えているけれど “見た目でカバー”の我が家の食卓で それぞれの作家さんの手仕事は 安く売買されながらも、ちゃんとぬくもりを食卓に伝えてくれている。 そして、我が家を訪れる人に 玄関では、GOJA WORKSさんの陶板が「いらっしゃいませ」をし しがみさこさんの陶器の人形が「汚い家ですが・・・」と言い トイレで、吉澤奈保子さんの陶板が「どうぞごゆっくり」的雰囲気をかもし出し 居間で、岡田吉真さんやリビングストンさんや 誰だか忘れちゃった作家さんたちの作品たちが 「ホコリは見てみぬフリしてくださいね。」と語りかけているはずで “見た目でカバー”の役割の仕事を十分にこなしてくれている。 国の重要無形文化財保持者の作品は 「これ1個でベンツが買える。」という価値が付く。 もしそういうお金が舞い降りてきたら 夫はBMWを買うだろう。 私はその抹茶碗を買うだろう。 芸能人の離婚の理由によくある「価値観の違い」 離婚に至るほどの要因になることに日々納得するけれど まぁ、ありとあらゆるそれぞれの価値観があるのだろうけれど 根本のお金は天下をめぐりめぐって、はるか上空をかけめぐっており こんなにだいすきな私の手元に、舞い降りてくる気配もない。 なので離婚することになっても、その理由にはきっと挙がらない。 田尾明子さんの器にのせた 義母が作ってくれたフキの煮物をつつきながら 石川若彦さんのグラスで日本酒なんかをいただいて ありがとう、春。と程よい日常だ。 伝承しなければならない日本文化に たまにはどドップリ浸かってみることも 程よい日常には必要なことなんだろうなぁ。とぼんやり思い 荒川豊蔵の造りだした緋色の自然の結晶に いやいや、とんでもなくイイモノ見せていただきました。と思いを寄せ 人間国宝の作品というのは・・・ という自問自答がまた繰り返される。 |
| << 前記事(2008/04/28) | トップへ | 後記事(2008/05/13)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|
| << 前記事(2008/04/28) | トップへ | 後記事(2008/05/13)>> |