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まさおさんの逆襲。

2012/05/17 11:51
まずはこの記事をお読みいただいて
http://snow-snow.at.webry.info/201004/article_1.html
その後のお話である。

今年も、まさおさん軍団はやってきた。
到底理解できない節操を頑なに守り
全くもって、遠慮もなく。

今年のまさおさんたちは強かった。
親なり先祖なりを、流刑処分にされた積年の恨みがあるのか
廊下を横切った瞬間や、お風呂のドアを開けた瞬間
その姿を見せぬまま、強烈な残り香だけが漂うことが
何度かあった。

まさおさんの逆襲。2012春。
例年以上に、心に警戒心が芽生え
流刑するにも、緊張感があった。

しかし、やっぱり私は、まさおさんたちを甘くみていた。
ある日、気づかぬうちに吸ってしまったのだ。
掃除機で。
強風の中、髪の毛やチリやほこりにまみれたまさおさんは
全身全霊・チカラの限りに、抵抗の意を表した。
壮絶な芳香が、掃除機から香り
一瞬でも早く、ご臨終して頂きたい私は
洗濯機のウラに隠れる、積もり積もった埃を吸わせた。
それでも、それがまだ怒りの芳香なのか、残り香なのか
掃除機の中のまさおさんはひるまなかった。

あの時の私は、気が動転していたのか
それとも、その強烈な芳香に追い詰められてしまっていたのか
今振り返ってみても、全く理解しがたいことに
意思をもって、近くにいたよしおさんを吸い込ませた。

Wの悲劇で、Wの芳香が漂うはめになった。
耐え切れなくて、庭に逃げ出したのは私の方で
ちょうど、お隣のシニアご夫婦が、ガーデニングをしていた。
後悔の念に苛まれながら
二人に駆け寄り、「カメムシが・・・」と泣きついた。

すると、奥さんが冷静な顔で言った。
「そっちも出るんだねえ。いま、うちも2匹流してきたよ。」
やっぱり、妻による流刑しかないのだ。と確信するとともに
まさおさんたちの恨みは、ハンパないことになっているのだと思った。

しばらく、シニアご夫婦とカメムシ談義をして
頃合いをみて家に入ると、芳香はかなりかすかになっていた。

恐る恐る、掃除機のゴミフィルターを開けた。
けれども、まさおさんもよしおさんも、ご遺体が見つからなかった。
粉々になってしまったのか
注意深く探しても、足一本すら見つからない。
それはそれで、恐怖である。
もしや、この(まさおさんたちにとっては)屈辱的な
人間の仕打ちを後世に伝えるべく、掃除機から逃げ出したのか?
などと、あらぬ想像をしてしまった。

あれからも、まさおさんたちは次々と我が家にやってきて
やっぱり、“掃除機で吸い込んじゃった事件”を恨んでいるかのように
その立ち居振る舞いは、堂々としたものだった。
私はあのすさまじい芳香が、鼻腔から脳に記憶として染みつき
来春もしくは今秋
まさおさんの逆襲・リベンジ。とか
まさおさんの逆襲・2ndseason。とか
そんなことになるのではないかと、あの事件以来
流刑もできない、かよわい主婦になってしまった。


そして、初夏になった。
触らない。近寄らない。ちょっかいださない。
できるだけ見て見ぬふりをした
まさおさんたちのご遺体が、家のあちこちにころがっている。
捨てるため、本当に息絶えていらっしゃるのかを確認していると
ついつい、よくもこんな小さい体で
あんな匂いをだせるものだと、感心してしまう。
あの臭気を抱えたまま
自然死するときは、ずいぶんあっさりと死んでゆくものだ。


お隣のご主人が、あの時つぶやいていた。
「定年してヒマだし、カメムシ研究でもするか。」と
それは、カメムシの発生元を追及し
どうしたら、匂いを回避して殺せるか。という研究だそうだ。
私のほか、多くの主婦がその研究成果を期待するところだが
奥さんが言っていた。
「家でやるのはやめて。」


この季節は
ジョニーやポールが、ベランダや洗濯竿にせっせと巣作りをしている。
彼らの姿形をみていると、どうしても聞いてみたくなる。
「まさおさんたちって、おいしくないの?」

そう、どなたかさまが、食べてくれればいいのである。
生態系にそって、できれば、生け捕りで。
芳香漂わす、その前に。


やっぱり
めげず、くじけず、逆ギレせず
流刑方法の確実性と敏捷性のウデを上げるしかないのだろうか。
かよわい主婦のままではいられないのだ。
戦いは続く。
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トドノツマリ。

2012/05/09 13:52
ふたたびの東北、三泊四日の旅に出ました。

岩手県浄土ヶ浜から宮城県秋保温泉、そして福島県猪苗代へ。
一昨年(もちろん震災前)の旅で、辿ったルートと
昨年、初冬の旅で辿ったルートを
おりまぜながら、走行距離1200kmの車の旅。

道の駅を通り過ぎるなんてことは一切なく
浄土ヶ浜では、一昨年と同じ
猪苗代での滞在も、今年同じ施設に二度目の宿泊でした。

GW期間中ということもあって
まるで、‘ディズニーランドの駐車場’にいるかのように
全国各地の他県ナンバーを見た旅路でした。


大谷海岸の仮設の道の駅で
南三陸方面から来た
首都圏ナンバーのバイカーの団体の一人が
一緒にいた人に、つぶやく声が聞こえました。
「残酷すぎて、直視できなかったわ、オレ。」

たくさんの人が
陸前高田の一本松を写真に撮り
あちこちに積みあがった瓦礫の山を見上げ
傷跡そのままの建物や住宅の基礎しかない平地を眺め
そして、桜の花びらが舞い散っていました。

あれだけの人間の命や生活を奪いながら
海水が流れ込んだ土地にも
雑草が生え、タンポポが咲き
気温の上昇は雪を溶かし、春は確実にやって来ていて

非常識ながら
私はその悲惨なまでに荒れ果てた風景を
「美しい」と感じました。


バイカーの言葉を借りると
今回の旅で、私が“残酷すぎて、直視できなかった”のは
いたるところに建ち並んでいた
仮設住宅の、窓辺に干された洗濯物でした。

そして、ガレキと称された
被災した人々の生活のカケラの山に
日光が当たるほどに漂う異臭に
言い表せない無力感のような、脱力感のようなものを感じました。


あるいは道中、果樹王国・福島県ならではの
農家に整然と咲き誇る果樹の花々の風景に見惚れながら
その裏側にあるフクシマを考えました。
避難区域の、生きながらに死んでいく
いつまでもそこにあったはずの風景を思いました。

“直視できない”以前の
今現在どうなっているのか、これからどうなってゆくのか
結論も、果てもない、フクシマの今を思いました。


帰宅して、たっくさん買い込んだ
三陸のワカメやまつもや磯のりを
もう、髪の毛バサバサしちゃうんじゃないのよぉ
とういうほどに、堪能していたら
(今年も三陸新芽ワカメは無敵のコリコリ感がたまりません。)
雷・雹・突風の連休最終日になりました。
近くでは、竜巻の大きな被害も出ていました。

停電して、復旧して、また雷が来て、停電して
大雨・強風のさなか
東京電力の作業員の方々が、懸命に仕事をしてくれていました。

雷多発の、停電もめずらしいことではない栃木県に住んでいると
本当に、東京電力のみなさんにはいつも感謝しています。
あの震災のときも
この地域の受けた被害の大きさからみても
電気の復旧が早かったことは、驚きもあったぐらいです。



そして今
誰が悪いのか
を、問うべきではないのだと思っています。
五感に感じない放射能という化け物を生み
それを作って、使わなければならないほどの生活レベル水準を
少し立ち止まって考えなければならないのでは、と
指摘されている気がします。

原発を受け入れざるを得なかった地域の
過疎化や高齢化や
他に支える産業がなかったことを

こんな小さな国に
こんなにたくさん、原発を受け入れた地域があることを
地球上でもっとも電気が明るいこの国の首都の在り方を

順番通りにじっくり、でもできれば早急に
考えてみなければならないのだと思います。


旅の最後、どしゃ降りの磐越道を
緊張しつつハンドルをにぎり
あまりの雨の強さにイライラしながらも、ハッキリと思いました。

 リーダーが、もう、どこの党の誰だっていいから
 いいから早く、この国を立ち直せ。
 ただ、税金の使い方、間違えんじゃねぇ。
(お口が悪いのは、どしゃ降りのせいです。)


きっと、政治や経済や、とにかくもう
ありとあらゆるこの国が抱える問題を
一つ一つ、痛みをともなってでも
解決あるいは改善していけば
近頃の異常気象を、少しは改善できるのではなかろうか。
そんなことも考えた
今回も思い出深い旅でした。

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人生のBGM。

2012/04/19 20:07
ものすごくたくさんの人を、敵に回すような言い方をすれば
松任谷由美さん(荒井由美さんを含めて)を
「(歌が)うまい」とは
未だかつて、たったの一度も
思ったことがない。

恐ろしくも、更に言えば
ラジオやテレビに出演している松任谷さんの
話す声を聴くたびに
「よくもまぁ、こんな声で、歌手になろうと思ったものだ。」
と思う。


けれども
松任谷さんの歌は、松任谷さんが歌わなければならないし
いつだって、どんなときだって、変わらず、絶対、ユーミン。
と思う。


その詞にあこがれ、夢を見続けた10代も
自分の車を運転しながら、口ずさんだ20代も
その詞も曲も、なんだかしみじみとするようになった30代の今も
きっとこれからも、私の人生において
ユーミンを手放すことはないだろう。



妄想の話になるのだけれど
私は、とりわけ『翳りゆく部屋』という曲が、異常にすきで
そのPVを撮るなら・・・
と、考えることがクセみたいなものになっている。
なので、映画やテレビで
いい感じの女優さんを見つけた時は
それは、間違いなく
あの曲のあの詞を演じられる人。
であることが多い。

ユーミンの曲は一本の映画だ。
30代半ばを過ぎて、つくづくそう思う。


節目とされる結婚式の日
私は今でも確信しているのだけれど
あの日は、肌荒れもなく、それなりに痩せていて
メイクの人が、とんでもなく上手だったこともあって
「人生で最も私が美しい日」だった。

特別誰に見せるわけでもない式だったし
山の中の、静かで穏やかな雰囲気の中で
支度が終わって、鏡に映る自分を改めて見たとき
ふと浮かんだメロディーは
ユーミンの『輪舞曲』という曲だった。
どうにもこうにも、曲が頭から出て行かなくなり
花びらを浴びている時も、式の間も、こっそりと口ずさんだ。
そして、密かに苦笑しながら思った。
「これか。この曲か。」と。

『輪舞曲』は、幸せな結婚式の歌でありながら
存分にせつない曲でもある。
けれども、なんだかうれしかった。
多少なりとも
ユーミンの詞にかするぐらいの経験があったのだと思えた。
あたし、ちょっと、かっこいい。ぐらいにも思った。


ユーミンに人生を重ねる。
そんな女は、ものすごくかっこよくて、大人で、ステキだ。
今からでも、そんな女になれるものならなってみたい。

でも、現実は
私がスキー場に行くと、必ず風雪を呼ぶので
凍えながらリフトにゆられ
「Blizzard Oh! Blizzard ・・・」と熱唱するのがお決まりで
やっぱり、恋人はサンタクロースで
だから、結婚したらサンタクロースは来なくて
春は毎年くるけれど
いっつも、花びら散る桜吹雪をみると
『春よ、来い』が聞こえてきて、「春は、行く」になっちゃってるし
そんなでも
たくさんあるユーミンの曲は、ユーミンの声とともに
いつも私の中のどこかにある。

そして、死ぬまでにどうにかならないものかと、懇願している願いは
宝くじで1億当る。

ユーミンが唄う
“骨まで溶けるような テキーラみたいなキス”(『真夏の夜の夢』より)
をしてみたい。
で、ある。

どちらにしても、果てしなく叶いそうにない願いだけれど
ユーミンを聞きながら
ゆっくり、待ち続けようと思う。

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呼吸する活字。

2012/04/09 21:28
今まで「読書」として
演劇を活字で読んだのは

シェイクスピア作品をいくつかと
イプセンの『人形の家』
ウィリアムズの『欲望という名の列車』と『ガラスの動物園』
ぐらいなものである。

台本を読むということは
私にとって、ちょっと苦痛な面が少なからずある。

自分が読んだことのある作品ぐらい
いつかは、ライブで舞台を観てみたい。
と、常日頃思うものの
地方に住んでいると
たまーに、シェイクスピア作品の舞台が観られる機会があるぐらいで
なかなか、観たいお芝居が回ってはきてくれない。

けれども、これがまた
‘芝居好き’というよりかは
‘ミーハー’的要素が大部分を占めるので
「できれば、知っている俳優さんがでてるやつ。」
という補足がつくのである。


『欲望・・・』は、
ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドが出演した映画で観た以来
あの、(特にヴィヴィアンの)背筋も凍るような迫真の演技が
頭にしっかりとこびりついてしまったので
もう、十分です。と思っている。

残るは二つ。
先月末、念願かなって
そのうちの一つ『ガラスの動物園』を
‘ミーハー’的理想の形で観ることができた。

立石涼子さん・深津絵里ちゃん・瑛太くんに鈴木浩介さん。
「あのアマンダを、立石さんが・・・」
考えるだけで、ゾクゾクした。
そして、一度は観たいと思っていた
長塚圭史さんの演出。

渋谷に向かう電車の中
『ガラス・・・』を(再々度目かに)、もう一度読んだ。
ト書きがたくさんあるので
舞台で起こるであろう、いろんなことを思い浮かべながら。

そして、幕があがって、トムの瑛太くんが語りがした瞬間
「ハッッッ」とした。
あの「ハッッッ」を、言葉で言い表すのは難しい。

それは、言葉が躍りだした瞬間だったし
頭にある活字が飛び散った瞬間でもあって
そこにトムがいて
ト書きが光景になった。

どこをどう切り取っても
4人の演者は、リアルだった。
活字では流されていた‘笑い’を
セリフの言い回しや動作やしぐさで、観客席に送りこんだ。

そして、とんでもない演出だった。
舞台全体が、まるで
「モランディの絵が3Dになってるっ」という色と空気で
原作には存在しない、時間や人物や情景を操るダンサー達の
息をひそめたくなるような動き。

もっと長塚さんの演出を観てみたいという願望に
今現在も、囚われっぱなしである。

1階の一番後ろのはじっこの席だったけど
(なんせ、通常価格から2千円引きの席だったので)
瑛太くんの耳、やっぱり大きかったな。
ということも、やっぱり忘れられない。
(もちろん、ドン引きするぐらい顔がちっちゃい。ということも。)


帰って来て、時間をおいて
また、ウィリアムズの原作を読んだ。
目で追う活字が、息をしているような気がする。


そして、ふと思った。
“大俳優が演じたシェイクスピア舞台を観た後
   こんな余韻にひたったっけか?”


そして
残念なことに気づいてしまった。
シェイクスピアを読んでいる時はいつも
「登場人物」のページに、指を挟みながら読んでた、あたし。

それだもの。
そんなんだもの。
(観劇の)余韻も、へったくれもなにもないのだった。
全くセリフに追いつけません。の
ポッカーン・・・の状態だったのだ。きっと。


私、がんばろう。
もっと、読解力とか、がんばろう。
いつか
シェイクスピアもたしなみますよ。
っていうオトナになろう。

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トラウマの夜。

2012/03/12 19:45
こどもの頃
家族で福島へ1泊2日のスキー旅行に行った。

いまや、高速道からのアクセスも便利な
ファミリー向けのスキー場だが
当時は、とにかく道が不便な場所だった。

初日のスキーを終え、宿に向かう途中、道に迷ってしまった。
スキーの疲れと、チェーンを巻いての雪道・悪道走行で
車内の空気は重かった。
目的地にどうにもたどり着かず
やっと見つけた人影は、小学生の男の子の軍団だった。

父がすかさず彼らに道を聞いた。
けれど、後部座席にいた私には
彼らの話す言葉が、まったく聞き取れなかった。

そして、道を確認し終え、窓を閉めた瞬間
父と母が笑い出した。
かわいらしい子たちだと
“ブラク”という言葉を久しぶりに聞いたと
ケタケタと二人で笑った。
私は、変な気持ちだった。


やっとたどり着いた宿は
大きな藁葺き屋根と囲炉裏のある
日本昔ばなしに出てくる、“しょうやさん”の家に似ていて
そして、見るからに
底なしのような深い緑色の沼のほとりに立っていた。
他にお客がいたのかどうかはわからないが
異様な静けさに包まれた宿だった。

お風呂に入っていると
父と男湯に行った兄が私を呼ぶ声がした。
湯船に面した大きな窓を開けると
目の前に沼が広がり
隣の窓から、兄が手を振ったり、沼の水に手を伸ばそうとしていた。

当然私も、兄のマネをした。
すると、父が言った。
「河童にひきずりこまれるからやめなさい。」

カッパ。
その言葉からイメージしたのは
当時、よく流れていたクレジットカードのCMで
中井貴一さんと旅する、あのかわいらしいキャラクター的なものではなく
ぎすぎすとして身体が細く、眼光するどい方のアレだった。

夕食は囲炉裏で食べた。
そこで、見てはいけないものを見てしまった。
‘子泣きじじい’のお洋服である。

そう、山の、雪国の、囲炉裏にはありがちな風景である。
なぜ、あの時、‘かさこじぞう’を連想できなかったのか
いまでも悔やむばかりだ。


そして、寝る前に
父が私を、さらに、恐怖のどん底に突き落とした。

夜中に、かすりの着物をきた男の子や女の子がくるから
仲良くあそんであげなさい。という命令だった。
‘ザシキワラシ’というこどもだと言った。
もし、今、ざしきわらしなど見かけようものなら
至れり尽くせり遊んであげて
翌日になったら、スキーなどには目もくれず
まっすぐ宝くじ売り場を目指すところではあるが
あの時、父は、そういった、幸運を呼ぶとか縁起がいいとかの
そのあたりの説明は、一切省略した。

当時の私にとっては、絶望的一夜の始まりである。

辺りを、カッパや子泣きじじいがうろついているので
外から聞こえる、少しの物音や雪が落ちる音にも
いちいちビビりまくり
見慣れているはずの、‘半分目を開けて眠る兄’にも
改めて、薄気味悪さを覚え
そうなると
柱や天井の木目が、般若の顔だの
ムンクの叫びのようなものだのに
見えてくるは、見えてくるはのパレードで
そのうえ、‘ザシキワラシは’いつ来るかわからないし
第一、「仲良く遊ばなくてはならない」というプレッシャーにつぶされ

あの夜を経験して以来
36歳になった今でも
私は“民宿”という宿泊施設に泊まることができない。
相当のビビりちゃんなのである。
(何も偉そうに言わなくてもいいことだが)
その上、恥ずかしいっちゃお恥ずかしながら
古い宿泊施設にありがちな
動物や巨木の剥製とか、鎧兜のたぐい
スズメバチの巣など、苦手とするものが結構多い。
とにかく
「文豪ゆかりのお宿」とか「古の情緒あふれるお宿」とか
「施設はいくぶんふるいですが・・・」という文句で語られる
宿泊施設を、極力避けている。

友人などのお誘いで旅に出て
どうにもこうにも、私的に、「のんびりご滞在は不可能な宿」
と判断した場合は
記憶がなくなるまで、酒をあおる。
という行動にでることにしている。

なので、私は、とても残念なことだけれど
一生、座敷童子とはお会いできないと思っている。


昨年
両親と兄の家族と私たち夫婦で
あの、思い出深い福島のスキー場に行った。
兄が予約したのは、こじゃれたペンションだった。

私は両親に聞いた。
あの民宿は、どのあたりにあったのか
そもそも予約をとっていたのか
けれど、「そんなこともあったかしら。」程度で
二人ともに、全く記憶になかった。
兄にも聞いた。
「あの、ひもじいメシのところだろ。」
それだけだった。

あの、絶望的一夜のおかげで
今現在も、私がどれだけ苦しめられているかなど
家族はしらない。
家族になった夫も
「まず、清潔感☆3つ以下で
 玄関とかロビーに、赤いじゅうたんが敷いてあるとこが、だめなんでしょ。」
などと言い放ち
私の苦悩など、理解してくれる気配もない。

悶々と苦悩しながら
カッパにあったら、まずキュウリ。
子泣きじじいは絶対に、おんぶしてはならない。
というように
トラウマには知識をもって
これから、対抗していこうと思う。

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基礎のキソ。

2012/03/04 20:37
『お宝鑑定団』(再放送)に
ピカソの“青の時代”のリトグラフが出た。
夫が言った。
「ピカソって、普通に描くと、普通にうまいんだね。」

私は言葉を失いつつも、心の中で叫んでいた。
“あんた、何様だ?”

もう一つのパート先は、美術商だ。
だから、「本物」を目にする機会に恵まれている。
そして、いつも思う。
「きっと、基礎が違う。」

「基礎」がある人が好きだ。
たゆまぬ努力で身についた「基礎」
天才と呼ばれる人だけが
生まれながらに身についている「基礎」
「基礎」があるからこそ生み出される技術や技に
そして、そこに加えられる絶妙な「感覚」に
いつも感服し、うっとりする。
そして、それを目にするたび
めちゃくちゃかっこいい。
と、思う。

何も美術の分野だけではない。

たとえば、トレーラーの運転手さん。
工事現場や、コンビニの駐車場で見られる
あのバックの技術。
そっちにハンドルきっちゃうの?的な
あのほれぼれするような、バック。
狭い交差点での右折など
こちらがハラハラする、けれど曲がる。ちゃんと。
「基礎」に裏打ちされてこその「感覚」の
あのハンドルさばきだと思う。

若かりし頃の仕事で
あちこちの町工場に訪れたことがある。
NASAからの依頼も受ける硝子加工の工場や
なんともプロフェッショナルな旋盤の現場。
レーザーや機械に頼る加工の現場でも
その熟練技を持つ作業者はもちろん
出荷検査の人の目は、図面に対して、何よりも正確だった。

そして、感じた。
職人技というのは、五感も「基礎」になっている。と、いうこと。
そういう教科書では得られるはずもない技術を持っている人が
日本の製造の現場には、たくさんいる。
そして、そこに至るには
人それぞれに、経験を積むという
どえらく長い時間をかけているのだということ。
だからこそ、その術を受け継ぐことは、困難極まりないということ。


また、別の「基礎」もある。
たとえば、フィギュアスケートの真央ちゃん。
彼女がリンクで跳んだり回ったりするのを見ると、いつも思う。
怪我をしないということも「基礎」の一つなんだろうな。と。
だいたいあんな細い足首で
どうしてまた、跳んで、回転して、あんなエッジに乗れるんだ?
という素朴な疑問もある。
マリナーズのイチローさんも似ている。
スポーツの世界では、怪我がつきもの。
でも、怪我をしないで活躍し続けるということは
怪我をしないという、活躍シーズンを無駄にしないという
トレーニングなり、柔軟性なりが
身体に「基礎」として組み込まれている。と信じている。


そして、また、華麗なる芸能界にも。
たとえば、美空ひばりさん。
演歌も、ポップスも、そしてジャズも
何を歌っても、歌える。
何を歌っても、聞き惚れるような歌声。
あの女王に並ぶ歌手は未だにいない。と思う。
彼女の「基礎」は、きっと、天才である以上に
死ぬ寸前まで、歌うことをやめなかったということなのかもしれないと思う。
歌うことをやめなかったし
「歌うことが大好きなんだこの人は」
と見ている側に真摯さが伝わるような歌手だった。
これは、歌うことを職業にする人には必須条件の「基礎」だ。

あるいは、大竹しのぶさん。
バラエティ番組などでは、トロトロとした話し方の
やさしい印象の女優さんなのに
得た役によって、いかようにも豹変する彼女は
声の張り方や、身体を使う表現方法が
「基礎」として染みついていて
それが、役どころによっても、演出家の指示にも
自由自在に操れる女優さんなのだと思う。

低音がくぐもることなく、高音がなめらかに
ちゃんと発声できる俳優さんや
悪人役の目つき、善人役の物腰が
変幻自在の俳優さんたちを見ると
「基礎」なんだろうなぁ。と思う。
すげえなぁ。と思う。



画家という職業の人は
発表した作品が、一般人にはまったく理解不可能な絵であっても
風景画や人物画を描けば
‘普通に’飛び抜けて上手な人だと思う。

蒔絵師や竹工芸の作家は
穴のあいた靴下を縫ったとしても
家庭科5評価の一般人よりも
綺麗に縫ってしまえそうな器用さを持っていて
「美」に対して、ものすごく過敏で
陶芸家は
土や火に対して、一般人以上に
愛着や執着や想像力を持てる人たちだと思う。

そしてその誰もが、それぞれの「基礎」を習得していて
それは学校で習ったり、師に指導されたものではなく
時間と経験を積んで、そして「感覚」を身につけ
たまに(常に)悩んだりしながら得たもので
私は、その確固たるものがあっての職人技を
見たり、触れたりすることを
ものすごく、この上もなく、喜んでいる。



ピカソのリトグラフの評価額は800万円だった。
夫が言った。
しかも、神妙な顔つきで。
「おれにも、このぐらいなら描けるかもしれない。」

私が思う「基礎」について
この人と語らうことは一生ないし
そんなことはありえない。と心が叫びだした瞬間だった。


なので、思いのたけの発散の場として
この場をお借りした次第で、ございます。



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楽園への入り口で。

2012/02/05 14:07
『味の楽園』というおせんべいをご存じでしょうか。

製造元が日光市なので
栃木県内でしか販売していないのかもしれません。
まぁ、このあたりのスーパーなら
どこでも、いつでも
おせんべいコーナーの一番下の棚で
ひっそりとたたずんでいるせんべいです。
我が家の常備食でもあります。

‘せんべい’というよりかは‘おかき’です。
しかも、割れせんがかなり入った
なおかつ
醤油・塩・海苔巻き・豆・ざらめ等々の
いろんな種類が入り混じった
それはもう、せんべい好きにとっては
『楽園』そのものの一袋です。

「吟味した国内産米100%使用の香ばしいおかき」

「一粒から始まる夢とロマン
  大地の恵み・お米 その一粒一粒に夢を託して
  夢を広げる企業」 (外袋表示より引用)
が作っているので、申し分がありません。

しかし、これはその日の運にかけるしかないのですが
一袋一袋その、おかきの入り混じり具合が
すべて同じではないのです。

豆せんが多い袋もあれば
醤油せんが多い袋もある。
おかきやせんべいの単体価格からすれば
当然といえば当然なのですが
海苔巻きは、比率にして常に1〜2割ほどしか入っていません。

スーパーの経営に携わる皆様には大変申し訳ないのですが
『味の楽園』に関しては
一袋の‘楽園状況’を確認するため
その場に座り込んで吟味せざるをえません。

夫と一緒だった場合は、その選別をゆだねますが
「せんべいに砂糖などとんでもない。」という
確固たる信念を持っている夫は
相当な時間をかけて座り込み
ざらめせんが多く入っていないか
入っていたとすれば、ざらめが飛び散っていないかまでを
選別するぐらいのしつこさです。
傍からみれば、まるで品質監督者のようだと思います。

私は豆せんが好きなので
一かけらでも豆せんが多い袋を選びます。
(私もざらめせんが好きとはいえないので、ざらめせんの量も確認します)

夫婦ともども、狙うは海苔巻きなので
開封と同時に、争奪戦になります。
しかし、数少ない貴重な海苔巻きです。

一袋を食べきることはないので
(味と品質からして当然のことながら、ちょっと高級なので
 食べきるのはもったいない理性が働くのです)
次回、また食べる時の
海苔巻き無き楽園は、本当にみじめです。
海苔巻きがあるとないとでは
袋の色合いすらも変わってしまうのです。

一人で開封したときは、海苔巻き残し。
これが、我が家の家訓です。

家庭円満に大事なことは
譲り合いの心だと
『味の楽園』に教えてもらっているのだと思います。

袋にジッパーをつけて欲しい。とか
せめて海苔巻きもう2本。とか
そういった要望をいつもながらに思いますが
でも、おいしいので、どうでもよくなります。

そうそう
食べきった袋にたまっている小さいかけらは
前記事の、咀嚼も不自由になってきたわんこが食べます。
わんこだけは、ざらめせんが好きなようです。

今週末、今頃夫は赴任先で
インフルエンザのため、高熱にうなされています。
妻の予定がぽっかり空いた休日
読書とDVD鑑賞三昧になっています。

そろそろおやつの時間。
楽園タイムの時間です。
昨日残した海苔巻きが、私を待っているので
このあたりで、ひとりごとをとめたいと思います。

では。


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